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社長のひとりごと

アルカダイアモンド代表取締役「迫恭一郎」の社長のひとりごとブログページです。

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2016年

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人生成功の教え⑤ [2016年8月28日]

ムーン  もしも、人生において、わずかな燃料を大きな力に変える方法があったら、知りたいとは思いませんか。
これは、燃費のいい乗り物の探し方ではありません。
あなたの人生そのものを最高に燃費よくする方法ということです。
学ぶのは無料です。
最後に、バカ高いセミナーの案内が待っている、ということはありません。
なぜなら、この方法を教えてくれているのが、ソロモン王であり、しかも、その情報は世界的に公開されています。

 この方法を学んで、小学校で落ちこぼれて1年で退学して、以来学校に通うことなく世界的発明家エジソン、52歳までミルクセーキ製造機の営業だった世界的なフランチャイズチェーンのマクドナルドの創始者、レイ・クロック、生まれてほどなく視力と聴力を失いながら、20世紀の世界の社会福祉事業の大きな影響をもたらしたヘレン・ケラー、時給10セントの簿記係から身を起こして世界的な大富豪となったジョン・ロックフェラー、これらの人の成功の秘訣は、いずれもソロモン王が教える方法を採用したからなのです。

 このほかにも、ソロモン王の教えを忠実に実行したことで、それまで不可能とされていたことを、可能とした人も歴史上、数かぎりなく実在します。

 ソロモン王がいう原動力は「ビジョン」、そしてその燃料となるのが「望み」なのです。
 
「なんだ、そんなことか」とがっかりしましたか?

成功の原理が書かれた膨大な文書が出てきて、事細かに、まるで幼子に物事を教えるように、一つひとつ、「あれをやれ」「これをやれ」というマニュアルみたいなものを期待されていました。しかし、成功の原理というものは、突き詰めると、こういうことなのです。
そして、それを実行に移して、具体的に現実化するかなのです。動いていけば、自ずとやるべきことはわかってきます。

 そのために「ビジョン」と「望み」が結び付くと、世界をひっくり返すほどの、とてつもないエネルギーを生み出すことができるのです。

 ソロモン王が言う「ビジョン」とは、「成功したい」とか『大金持ちになりたい』とかいう漠然として、イメージではありません。具体的なロードマップです。  明確な目標を立て、そこにたどり着くのはいつなのか、たどり着くためには、どのようなコースをたどるべきなのか、そのためには、今やるべきことは何か、次にやるべきことは何なのか、そして次は…、という具体的なロードマップなのです。

 世界的に成功した人は、だれも漠然とした日々を送って、成功したのではありません。逆に言えば、失敗に次ぐ失敗、挫折に次ぐ挫折の日々を送ることを余儀なくされていたと思います。しかし、そのような落胆と悔恨の日々を支えていたのは、「ビジョン」と「望み」なのです。

この世に失敗というものは、本来ないということを聞いたことがあります。成功した人と成功しない人を分かつものは、成功しなかった人が失敗したからではありません。ただ、成功するまでやり続けた人と成功する前にあきらめた人がいたというだけなのです。

 ソロモン王は、ビジョンがなければ、内的存在の最も深い部分が衰える、と教えています。
「内的存在」というと少し難しく聞こえますが、魂とかハートとか情熱のような意味だと思います。それが衰えると、生きる喜びが失われ、ただ生きているだけの存在になる、と言っています。

 箴言に「幻がなければ民は堕落する」とあります。「幻」とは、幻想ではなくビジョンのことです。明確なビジョンを持たないと人生は茫洋として、辛く苦しく、何の喜びもない日々となり、魂は堕落していくばかりです。

 これは人生ばかりでなく、ビジネスや家庭生活についても言えます。私も大きなことは言えませんが、それでも家庭はどうあるべきか、会社はどうあるべきか、というビジョンは持っています。それが、今の自分を支えているとも言えます。

 夢ではなく、ビジョンを持つ。自分がドキドキワクワクしてくるようなビジョンを持つこと。できたら、それを紙に書いて、今からそれに向かって進むことで、人生は一変します。大きな望みも実現するためには、小さなことをコツコツと積み重ねていくことです。
 運命を決めているのは神さまではありません。自分が決めているのです。

 ビジョンを立て、望みをしっかり抱いた人の大きなサポートをしてくれるものの一つとして、アルカダイアモンドがあります。そのことは、私自身だけでなく、多くのユーザーの方々も納得されています。ビジョンと望み、これにアルカダイアモンドがそろえば、今不可能と思っていることでも、実現可能であることは、断言できます。


小池都知事について思うこと [2016年08月22日]

ムース 先日の東京都知事選は、広島県民として野次馬的に眺めさせていただきました。
 その前の参議院選と一変して、マスコミの扱い方が全く違うのには、いささか違和感を覚えました。

 今回の都知事選は、デジャブ(既視感)を覚えたのは、私だけではないと思います。まさしく劇場型選挙戦で、21名の候補者がいたにもかかわらず、自民党の推薦を得られなかった小池百合子さん、与党推薦の増田寛也さん、野党共同推薦の鳥越俊太郎さんでしたが、既成政党のバックなしの小池さんと既成政党の増田さん、鳥越さんという構図。
 東京オリンピックをめぐる利権構造をめぐって、そこにメスを入れるために、オリンピック組織委員会のドン森喜朗さん、都議会のドン内田茂さんを悪役に仕立てて、孤軍奮闘で闘うヒロインというキャラクターをみごとに作り上げた小池さんに対して、男性候補側は何の工夫もありませんでした。

 これは、かつて小泉純一郎さんが郵政選挙で、「自民党をぶっ壊す」といって既成政党をあたかも敵に回したかのような姿とダブルものがありました。
 同時に石原元東京都知事の「厚化粧」発言にある男対女の対立構造もあったかもしれません。鳥越さんは、週刊誌でかつての女性スキャンダルで攻撃されていました。

 しかし、実質的な政策論争もないまま、情緒的に流れた選挙戦は、本質的には何も変わらない結果に終わりました。
 だいたい、名前の売れた人で、このほか名前の挙がった人は、かって不倫スキャンダルで名をはせた俳優やアイドル父親である元官僚、これまた女性スキャンダルもある元地方 知事のタレント、西の都市で何やらめちゃくちゃなことをやって放り出した無責任な弁護士など、多士済々というか、もの悲しくなるようなラインナップです。

 誰がなるのかというよりも前に、先の参議院選挙の候補者の顔ぶれを見ても言えますが、まともにものを考えていると思える人物がほとんど見られないということです。
 それはおそらく、東京に限らず日本社会が、限りなく制度疲労を起こしている証左ではないでしょうか。

 同時に選挙戦をあたかもバラエティ番組と同様の扱いしかできないテレビ、現政権に対して明確にものの言えない新聞、週刊誌。そして、それに慣れている国民。自体はますます 深刻化しているようです。

 小池さんは、時の権力にすり寄ることのうまい、機に敏な政治家というつとに知られています。
小池さんが都政をクリーンにしたり、東京オリンピック・パラリンピックの利権構造にメスを入れてクリーンにするわけではありません。
 所詮、誰が権力を握るか、利権の甘い汁を吸うのか、という権力内部の権力の移動以外の何物でもありません。

 小池知事の側近には、日本国憲法を否定し、大日本帝国憲法の復権と国民を臣民にして国民主権も基本的人権を否定するような人物を置くようなことも言われています。安倍政権と連動して、我が国を危険な領域に導くリーダーの一人であることは間違いないと思います。ゆめゆめ変な幻想は抱かないことです。

 これから日本がどうなるのか、さまざまな議論があるところです。別に私自身の考えるところが正しいとは思っていません。さまざまな立場の方のご意見を学ばせていくなかで、自分なりの考えを持てれば、というのが私の常日頃思うところです。

 しみじみと思うのは、何歳になって勉強は必要だ、ということです。とりわけ、経営者として、さまざまな立場の方とお会いする機会が多いところから、常に刺激を受け、日々成長の心を忘れるわけにはいきません。

 何かと東京においても仕事をする機会の多い立場として、東京がどのように変貌していくのか、しかと観てまいりたいと思います。

私とは何か? [2016年08月18日]

ムーン  「私とは何か」、古今東西の哲学者、宗教家、賢人がさまざまに考えてきたことです。
 この人類が抱える最重要な命題について、ここで考えようというのではありません。それを考えるほどの知識も技量も時間もありません。

 私が最近知ったことで、「私は渡し」ということについて少し考えてみようと思います。
 人は、何かを誰かに「渡す」ために存在しているというのです。
 ちょっと面白いと思いませんか。

 では、何を渡すのだろう。
 すぐに思ったことは、「命」です。
 私にもふたりの子供がおりますが、両親からいただいた命を二人の子供に伝える。
 考えてみると、私の両親にも親がいます。その親にもそれぞれ両親がいます。そうやって30代さかのぼると、その数は1億人を超えることになります。一代が50年として30代だと1500年になります。その長い時代にわたり、命に命を紡いで、今日の私の命 があるということです。

 だから、私の命は、私一人のものではありません。もちろん、大切な家族を守る。大事な会社の社員さんを守る。そして、お客様にも間違いのない商品をお渡しするということがあります。

 いずれにしろ、私の命は私ひとりのものではないのです。

 では、渡すものは、命だけなのでしょうか。
 いただいた命によって、運んで渡さなければならないものが、あるのではないでしょうか。
 命によって運ぶもの。すなわち「運命」ということになります。

 以前聞いた話では、人は生まれる前に、どのような人生を送るか計画を立ててくる、ということをうかがいました。しかし、産道を通るときに、その計画については、すっかり記憶を消されてしまうそうです。
 だから、どなたにも、この世でやるべき計画があるということです。

 私もほかの方と同様に、生まれる前に立てた計画については覚えておりません。
 しかし、今、アルカダイアモンドという世界最高のダイアモンドを販売する会社の責任者という立場におります。会社の理念は「地球を護る」です。
 地球を護る、ということは、人類を護るということではありません。地球上に生息するすべての生命体、そして最大の生命体である地球を護るということです。

 もちろん、私がどれだけ頑張っても一人で実現できることではありません。
 全人類が長い時間をかけて取り組まなければならない課題です。
 ただし、時間は限られています。
 私たちの命も限られています。せいぜいが長くても100年あるかないか。その中でとうてい解決できることではありません。

 ただ、後世に伝えるべきことは残していこうと思います。
 どなたも後世に伝えるべきこと、渡していくことはあるはずです。
 そして、それを渡すために人生という時間を使うということだと思います。
 どんな小さなことでもいいはずです。
 日記をつけて、生きた証を残す。
 庭に小さな植物を育てる。
 誰かの思い出に残る時間を持つことだっていいかもしれません。
 それぞれの方が自分のスタイルで何か誰かに渡すものを残す。

 それがなんなのかと考えるだけでも楽しいと思います。
 それが見つかったら、人生はいまより豊かになるはずです。

 私は渡し。何を渡しましょうか?

限界は自分が作る [2016年08月14日]

ムーン  オリンピックに三度出場した400メートルハードルの日本記録保持者、為末大さんは、『限界の正体』という本を書いています。

 この中で、限界というのは、自分で作っていることを指摘しています。
 為末さんは、2001年の世界陸上の400メートルハードルで銅メダルをとっています。当時の自分の実力は、世界の4、5位くらいで、メダルをとるのは難しいと思っていたので、銅メダルは実力以上と思っていたようです。

 しかし、後年、自分は本当に銅メダルの実力だったのかと、疑問に思ったそうです。「自分の最高到達点は銅メダル」と勝手に自分で限界を設けてしまっていた、と思うようになったといいます。

 「限界の正体」というのは、社会の常識や世間の声、そうしたものが知らず知らずのうちに脳に刷り込まれて行って、それがあたかも自分の考えのように思い込んでしまうもののようです。

 限界というのは、「人間の作り出した思い込み」として生きています。
そして、「人は、自分の作り出した思い込みの檻に、自ら入ってしまっている」というのです。

日本人では、まだ100メートルを9秒台で走った選手は表れていません。100メートルの日本記録の歴代を調べてみると、10秒00から始まって、0.01秒刻みで記録が並んでいるそうです。しかし、未だ「10秒の壁」は破られていないのです。

なぜ、日本人の選手が「10秒の壁」を破れないのか、為末さんは分析しています。
それは、10秒を目標にしてしまっているからといいます。
目標というのは、切りのいい数字を設定します。だから、9秒98とか10秒02というような半端な数字は立てません。だから、切りのいいところで10秒という目標を立ててしまっているのです。

つまり、日本の短距離界は「10秒の壁」という檻を作って、みんなそのなかに入ってしまっているのです。

かつて、世界の陸上短距離界でも100メートル10秒の壁があった時代があります。最初に10秒の壁を破ったのは、メキシコ・オリンピック男子100メートルで優勝したジム・ハインズ選手。記録は9秒98。二度目に破られるのは、その9年後でした。しかし、いずれも高地記録として記録されています。

平地で10秒の壁を破ったのは、かのカール・ルイス選手。1983年に9秒97を記録しています。このように、誰かが限界を突破すると、みんな檻から出られて、限界を突破することができるようです。

日本人として初めて10秒の壁を突破する期待がかかるのが、東洋大学の桐生祥秀選手。リオ・オリンピックで10秒の壁を破ってもらいたいものです。

さすがに世界レベルの視野をもつ一流選手のものの見方というものは違います。
この為末さんの指摘は、実は、スポーツに限らず、人間のあらゆる営みについて言える原理なのです。

 私たちは、世間の常識や親や学校の先生から言われたことなどによって、自分の限界というものを作っています。だから、まず、自分が作った檻の中に入っていることを認識し、そこから出ることをお勧めします。

 私もまた、私自身が作った檻から出て、もっと広い場所で活動していきたいと思います。


母にするがごとく自らになせ [2016年08月07日]

アース  よく聞く、間違って使われている言葉の代表が、「情けは人のためならず」があります。
 この意味を、「人に情けをかけるのは、その人のためにならないので、人に情けをかけてはいけない」という否定的にとられているようです。若い世代では、少なからずそのようにとらえられているようです。

 これは、学校教育の問題というよりは、社会風潮がせちがらくなって、助け合うよりは、他人を蹴落としてでも、自分が良くなればいい、という考えを持った人が増えてきた結果ではないでしょうか。

 本当の意味は、他人に施したことは、巡りめぐって自分のところに戻ってくる。だから、人に何かしてあげるのは、自分のためにしていると心得なさい、というような意味だと教わりました。

 この言葉とは違うのですが、子どもの頃に、父からか母からか定か゛ではないのですが、「母にするごとく自らになせ」ということを教わりました。言葉の意味としては、「お母さんにしてあげるように自分にしなさい」ということなのですが、その頃は、いったい何を言っているのか意味不明でした。
 母親と言えば、子どもの頃では、優しく抱きしめてくれる存在で、ご飯を作って食べさしてくれ、汚したものを洗濯してくれ、家の中や周りを掃除してくれ、お風呂に入れてくれ体を洗ってくれ、分からないことを教えてくれ、間違ったことを諭してくれる、世界の中心、太陽みたいな存在でした。
 その母親にするように自分にしろ、という意味はにわかにわかりませんでした。
 馬齢を重ね、さまざまな社会経験を経るようになって、少しだけわかるようになった気がします。

 子供の頃は、親の庇護のもとに育っていきますので、自分のことについて考えたり、自分を大事にしたりすることは、なおざりになります。これは、子どもに限ったことではなく、人間は、どうも、自分のことを分かったつもりになって、実は分かっておらず、粗末にしてしまうものではないでしょうか。
 特に日本人の民族性として、あまり自己主張をせず、周りを気にかけて、あまり目立ったことをせず、自己犠牲の精神で、自分を殺してでも他の人のために尽くす、というような傾向があります。

 つまり、極端な言い方をすると、自分を粗末にすることが、あたかも美徳とされる風潮があるように思います。

 そのような風土の中にあって、先の言葉「母にするごとく自らになせ」の意味するところを考えてみると、感慨深いものがあります。

 子供の頃は、強さの象徴として父親があり、優しさの象徴として母親がいました。象徴というより、実際にそうだったのですが、特に母親の優しさによって育まれたという記憶があります。

 だから母には、一人前になったら恩返しをしなければならないと思っていました。むろん、父に対しても同じ思いでした。母に何かしてあげると、何をしてあげても、それは自分のためにしなさい、と諭されます。そのようにして、自分の中でなかなか親孝行ができないという思いがくすぶっていたのですが、ある日、気がついたことがあります。

 母親に対する最大の親孝行というのは、いくつになっても健康で明るく、元気に仕事をし、立派に自分の家庭を守る姿を見せ続けることではないか、ということです。落ちこんだり、悩んだり、遊びほうけたり、すさんだり、家庭を顧みなくなったり、というような姿を見せないようにすること。子供が幸せである姿を見せることが、最大の親孝行ではないかと思うのです。

 自分を大切にするということは、ひるがえって、自分の周り、自分が関わる全てに対して大事にすることにつながります。ただ、周りを優先して、自分を殺してしまったら、本当の幸せを手に入れることはできません。

 アルカダイアモンドは、自分をピュアな状態にキープしてくれる優れたツールです。そして、波紋が広がりゆくように、自分の幸せを周りに広げていくことを願い、それを実現してくれるものと自負しています。

 母に対する思いが込められたアルカダイアモンドが、やがて全世界を優しさに包みこむように、世界平和実現の役割の一端を担ってくれることをいつも願っています。