社長のひとり言 2016年7月 | 究極のパワーストーン 完全反射の輝き アルカダイアモンド            

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社長のひとりごと

アルカダイアモンド代表取締役「迫恭一郎」の社長のひとりごとブログページです。
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2016年

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2016年7月


都知事選はコップの中の嵐!? [2016年7月29日]


ムーン 参議院選が終わったと思ったら、マスコミは都知事選でもちきりになっています。
参議院選の結果をどう見るかは、その人の立ち位置によって違うでしょうが、改憲勢力が三分の二の議席を取ったということは、今後の日本にとって、小さなことではないと思いますが、そのことについては真剣な議論は起こりません。

ことほど左様に、忘れやすい民族性のある私たち日本人ですが、都知事選にしてからが、広島県民の私が言うのもなんですが、マスゾエさんのことやイノセさんのことやイシハラさんのことやアオシマさんのことはすっかり忘れてしまったかのよう気がします。

図式としては、保守の分裂で、党の推薦を受けずに崖から飛び降りた人と、与党の推薦の東京一極集中を批判した人、それとジャーナリスト出身の健康不安がある人で、勝機ありと野党統一となった人の事実上は、三すくみの様相を呈しています。

スウェーデン一国の国家予算に匹敵する予算を有し、ほぼ日本の人口の一割の都民の生活を左右するばかりでなく、日本の顔として、四年後のオリンピックを開催するリーダーとしては、どなたも相応しいかとなると、いかがなものかと、思わざるをえません。

戦後、私たちは、米ソの冷戦構造と自民党と社会党が主導する55年体制に慣れてしまって、右か左か、保守か革新か、という二項対立の思考に慣れてしまっています。
しかし、この頃思うのは、どうもそういう見方では、本当の世の中の姿は見ることができないのではないかと思っています。

それは、村山富市さんを総理にかつぎあげた自社さきがけ連立内閣あたりから、「何か変だな」と思っていました。本来、対立している自民党と社会党が一緒になるなど、それまで考えられないものでした。しかし、あれは何かとずっと考えていました。

ずっと考えていくと、果たして自由主義陣営と社会主義陣営は対立していたのか、というところにたどりつきます。ロシア革命や中国革命を背後から支援していたのは、資本主義の頂点にいる大富豪であるという説があります。マルクスが資本論を書くために支援していたのは、イギリスの大富豪であることは知られています。資本主義体制を批判する理論書を書くことを支援したのが、資本主義の恩恵を最大に享受している人というのも皮肉な感じもします。

しかし、もし資本主義も社会主義も同じ根っこから生まれたものであり、世界中の庶民のめをくらますことを目論まれた、壮大なフィクションであると考えられたらどうでしょうか。それを証明しろ、と言われても応えようがないのですが、そう考えると、いろいろなことがすっきりするのです。

つまり、資本主義も社会主義も、実は双子の片割れにすぎないということ。ソ連(現ロシア)とアメリカも、性格が異なる兄弟にすぎないこと。

そのように考えれば、自民党と社会党が一緒になることは不思議ではない。ただ、庶民にとっては、右と左、保守と革新が対立しているように見えるだけなのです。
もっとわかりやすい言い方をすると、「政治とはプロレスである」ということです。大筋は決まっているが、あたかも死に物狂いで争っているように観客に見せてはいても、結末は決まっていて、それはお互いが了解している、ということです。

世界は1%の大金持ちと99%の収奪されるもので成り立っているという説があります。さながら私たち庶民は99%の一員です。そして、1%の人たちがプロデュースするプロレスをドキドキワクワクしながら見せられているのではないかと思うのです。

ずいぶん話が脱線してしまいましたが、要するに、先の参院選は、自公だけでなく、民進党も社民党も共産党も含めて、実は自民党の派閥にすぎないのではないかということです。だから、改憲勢力が三分の二になろうが、そうでなかろうが、あるシナリオに沿ってこの国の進路は進められていくということです。護憲も改憲も、実は裏でつながっていると思うのは、私の勘ぐりすぎでしょうか。

したがって、都知事選は、どの方が知事になろうとも、民意を反映することはなく、ただ1%の意思をどの人によって体現するか、ということだけではないでしょうか。問題は、どのキャラクターでやったら都民の目くらましになるか、ということだけなのです。それを都民に自らが選んだと思わせる儀式が、都知事選なのです。それを全国民に広げたのが、先の参院選だったように。

などと勝手なことを申し上げる広島県民でした。どうぞ、一広島県民の真夏の夜の妄想とお笑いください。

人生成功の教え④ 勤勉を身に着けるワーク [2016年07月25日]


サン  人生は、勤勉と怠惰の綱引きです。いくつになっても、どんな立場になっても、この綱引きは、さまざまな場面で現れます。毎日、毎日、人は生きている限り、この綱引きから逃れることはできません。

 勤勉をいかに身に着けるか。
 なかなか難しいものです。それこそ勤勉であれば、容易に身に着けることは、できるのですが…。
 いかに身に着けるか、ということについてもソロモン王は、教えてくれています。

① 現実に目覚める
怠惰は、耳元で甘いささやきをして、やる気をそぎ、勤勉を身に着けることを遠ざけま す。何よりも勤勉よりも、怠惰を選ぶ方が楽なのです。
 この怠惰というもののしたたかさについて、ソロモン王は言います。
「怠惰は盗賊のように、欠乏は盾を持つ者のように襲う」
 つまり、怠惰に心の隙を見せると、盗人のように、あるいは奇襲兵のように襲ってくるということです。夢想して、遠くを妄想するよりも、今自分が置かれている現実に目を向けて、すぐに実行することを勧めています。
 現実を変える契機は、明日にはありません。変えることができるのは、今の自分にしかありません。明日の自分は、永遠に何もしないでしょう。林修先生ではありませんが、「やるのは、今でしょ!」ということです。

② ビジョンを明確にする
何を行うにしても、やみくもにやってはなりません。何よりも「やみくも」は、エネル ギーの浪費であり、持続していくのは困難です。
 ソロモン王は、『箴言』のなかで、「幻がなければ民は堕落する」と言っています。すなわち、ビジョンを明確にしないと、誰も続けることはできず、情熱をもって取り組むことはできず、モチベーションを持続することはできません。ビジョンがなければ、容易に怠惰の誘惑に負けてしまうことでしょう。
 ソロモン王は、勤勉さを身に着けたければ、アリを観察しなさいと勧めています。
「首領もなく、指揮官も支配者もないが、夏の間はパンを備え、刈り入れ時に食料を集める」 アリでさえ、周りに言われなくても、自分が生きるために必要なものは備えるようにせっせと働く。まして霊長類である人間ならば、ビジョンを描いて、勤勉にそれを実現すべきであると教えています。

③ 効果的にパートナーを選ぶ
類は友を呼ぶ、とはよく言われるところです。怠惰な人間の周りには怠惰な人間が集ま り、勤勉な者の周りには、勤勉な者が集まります。だから、その人がどんな人か知りたければ、その人の友達を見ればいい、とよく言われます。
 ビジョンを実現するためには、どのようなことでも一人でやり遂げるというのは、困難を伴います。やはり、ビジョンを共有する人、少なくともビジョンに共感する人がいる必要はあります。一人が持っている知識や技術には限界があります。だから、ビジョンを実現するためには、必要とされる知識や技術を持ったパートナーと組むべきなのです。
 ソロモン王は言います。「相談しなければどんな計画も挫折する。参議が多ければ実現する」
 ビジョンを実現する要諦は、効果的なパートナーと組むということです。そのためにも、勤勉であろうという姿勢は大切であるのは当然でしょう。
④ 知恵を礎として人生を築く
勤勉を身に着け、人生で成功を収めるためには、知恵を求め、知恵の上に人生を気づく
ことが必要であるということをソロモン王は教えています。
「知恵を得ることは金にまさり、分別を得ることは銀よりも望ましい」
 知恵と分別は、人生を成功に導く宝物ともいえるツールだとソロモン王は教えています。
 また、「隠された宝を探すように知恵を求めよ」とも教えています。
 知恵は、怠惰な目には見つけにくいものです。勤勉である者のみが見出すことができるものなのです。知恵を身に着けた者だけが、人生の成功という宝庫の扉を開けることができるのでしょう。
 宝の地図をたどることができるコンパスは、勤勉という別名を持っているということでしょう。

 私もこのようにわかったように言っていますが、ギャラリーではなく、プレイヤーの一人ですから、勤勉というツールを得るために、知恵という宝を探求する姿勢を忘れないようにしたいものです。

人生成功の教え③ 勤勉 [2016年07月24日]


 いよいよ、ソロモン王の教えの具体的な例について、入っていきたいと思います。
 その第一弾は、「勤勉」です。
 勤勉といえば、私たちが知っているのは、辞書的に言えば、「粘り強く地道に努力する」ということになります。

 しかし、ソロモン王の教えでは、少しニュアンスが違うようです。旧約聖書の箴言のなかで、「子どもも、行いが清く正しいかどうか、行動によって示す」と言っています。この意味は、粘り強く地道に努力するとは、違います。「粘り強く地道」では、コツコツ努力していれば、結果については問わない、というようなニュアンスが含まれます。

 ところが、「清く正しい」とは、どういう意味になるでしょう。
 「清い」とは、純度が高いということです。すなわち、結果としても素晴らしいということを含んでいます。
 さらに「正しい」とは、「適切に」という意味を含みます。つまり、スケジュールに適合している、ということです。
 ですから、予定通り進行して、しかも素晴らしい成果を上げる、というのが、ソロモン王の教える「勤勉」の意味です。

 これは、特別に努力した人だけが身に着けることができるキャリアではなく、誰でも心に銘じることができれば身に着けることができることです。というのは「子どもも」といっているところから、人に分け隔てなく、獲得できるものであることを示しています。

 そして、ひとたび、人生におけるスキルとして「勤勉」を身に着けることができるならば、仕事でも私生活においても、最高の結果を手に入れることができるといいます。

 ソロモン王は、「勤勉な人はよく計画して利益を得」と述べているように、真に勤勉な人は、人生のどのような場面においても最高の結果を得ることができ、逆にそうでない場合は、最悪の結果を覚悟しなければならない、ということです。

 本書(『ソロモン王の箴言)の解説では、このことについて「真に勤勉であれば、競う相手が企業でも個人でも、そして、どんな状況でも、どんな時間的制約があっても、有利な立場に立ち、結果的に高い生産性や大きな成果、富、充足感を得られる」と言っています。

 欧米人の発想と私たち日本人の発想では、微妙に違うような気もします。
 つまり、私たちが「勤勉」といって、「粘り強く地道に努力する」という意味の中に、ソロモン王の言う「清く正しい」ということも含まれているような気がします。
 私が身近に接している職人さんの仕事ぶりを拝見していると、見事にスケジュール通り最高の成果を上げてくれますが、それは弛みない日頃の努力の積み重ねの結果として、まさしく「勤勉」の正しい意味を体現してくれています。

 私たちの誰もが、自分の運命は自分の手でコントロールしたいと思うことでしょう。欧米のキリスト教世界では、それは神の技ということになります。我が国の場合には、八百万の神様ということになるでしょうか。しかし、実は、私たちは自分の運命は、自分で支配することができることを、ソロモン王は教えています。

 この自分の運命を支配するための重要なツールが、勤勉なのです。ソロモン王は「勤勉な手は支配し、怠惰な手は奴隷となる」と言っています。怠惰にしていると、自分の運命を自分以外のものに委ねて、思い通りにいかない人生を歩まなければならない、というわけです。

 さらに勤勉は人生の充実感をもたらしてくれるといいます。
 ソロモン王は「勤勉な人は望めば豊かに満たされる」と断言しています。これは物質的に満たされるというよりは、魂が満たされるという、深い意味で人生が満たされることを言っているようです。

 改めて「勤勉」について考え、そして自分の人生において、強力な武器である「勤勉」によって魂を磨き、心の中にアルカダイアモンドを持ち歩きたいものです。


まさか、真面目に生きていませんよね [2016年07月19日]


コスモゲート  もしも、人から「あなた、まさか、真面目に生きなきゃいけないなんて、思ってませんよね?」と言われたら、どんな感じがしますか。

 最近、人から勧められて読んだ本の帯にこの言葉が書かれていて、思わず、一瞬絶句しました。このような、人を一瞬でもひきつける惹句が、できのいいと言われるものなのでしょうね。

 この本は、金城幸政という沖縄の人間学者として全国を講演している人気講師の方が書いた本で、『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』(サンマーク出版)という本ですが、なかみは、きわめて真面目な内容です。

 なんでも著者は、仮死状態で生まれたために、通常は誰でも産道を通るときに消されてしまう前世の記憶を持ったまま生まれてきたために、かなり変わった子どもだったようです。
幼いころから神さまとお話をしてきて、世の常識には縛られない自由な生き方をしてこられた方です。

 この本の冒頭で、読者に、
「人生を変えるのに、三秒で変わる道と三十年かかる道がある。三秒と三十年、どっちを選ぶ?」と問いかけます。

 ふつうに考えれば、「三秒を選ぶに決まっているではないか」とほとんどの方が答えるかもしれません。
しかし、実際には、ほとんどの人は、世の常識というものに縛られて、この三十年の方を選んでいる、というのが実態です。

 本来こうあるべきだ、ということにこだわるあまり、本当の自分を見失っているといいます。でも、素直になって、自分の本心を取り戻したら、誰の中にもいる「やんちゃな神さま」に出会うことができるといいます。

 実は、誰もが本質的には「やんちゃ」だというのです。
 笑うことも泣くことも、寂しがったり、怒ったり、すねてみたり、神さまもそんな人間の本心に寄り添ってくれているといいます。別に高尚で、どんな出来事にも振り回されない平静を常に保つ大人の態度というものが、本当の神様ではないというのです。
 つまり、大人の態度で、あらゆる感情を抑えてしまうことで、本当の自分とかい離してしまうのです。

 これが、幸せから遠ざかる原因となっているのです。

 そして、そのことに気がつくのに三十年かかるというわけです。
 いえ、もしかしたら三十年以上たっても気がつかない人も少なくないのではないでしょうか。

 家の外だけでなく、家の中にいてさえ、裃や鎧を着たままという人は多いのではないでしょうか。特に男というものは、そういう性癖があって、本当の自分というものに気がつかず、忘れてしまっている、という厄介な生き物かもしれません。

 ただ、自分の中にいる「やんちゃな神さま」に出会うだけで、自由で、何物にも束縛されず、思ったことを実現できる、すごいパワーが発揮されるといいます。

 一息入れて、自分のなかにいる「やんちゃな神さま」に出会ってみませんか、常識という鎧を脱いで。

舟を岸につなぎなさい [2016年07月15日]


アース  知り合いから聞いた話ですが、とてもいい話なのでシェアをしたいと思います。
簡単ですが、以下にまとめてみます。

 昭和31年、早稲田大学の大隈講堂で、一人の仏教者の女性、太母(たも)さんという方が、「舟を岸につなぎなさい」という講演をされました。今から60年も前のことですが、その内容は、今聞いても少しも古びていない、というよりも、今でこそ聞かなければならない話であると思いました。

 東西の冷戦構造により、米ソの緊張が高まり、朝鮮半島では、つい数年前に戦争があったばかりの時代のことです。

 数十億匹のアリが笹船に乗って、その上で争っていますが、川の流れに乗っている笹船は、刻々と滝つぼに近づいています。だから、笹船の上にいるアリがすぐにでもしなければいけないのは、舟が流れないように岸につけることなのです。

「舟が滝に達して転落すれば、敵も味方も全滅なのに。これが人類の現代の様子を端的に絵にしたものです」

 これは、一見、第三次世界大戦による核戦争に対する警告と思えます。私も最初、話を聞いたときは、そのように思いました。しかし、この方が話していたのは、もっと深いレベルのものだったのです。

「仮に今、戦争をやめ、核の問題が解決したとしても、人類の運命が好転したことにはなりません」

 人類が戦争をやめ、核兵器の使用を停止して廃棄し、原子力発電所を全面停止したとしても、人類に平和が訪れることはない、と言っているのです。太母さんが指摘していることはもっと深いことなのです。

「それらの問題は『蟻たちの間だけの、つまり舟の上だけの問題であって、蟻たち全部を乗せている笹船そのものは、舟の上が戦争であれ、平和であれ、おかまいなしに滝つぼに向かって流れ続けているという大問題』とは無関係」と指摘しているのです。

 大切なのは、「舟を岸につなぎ止め、蟻たちが上陸できるようにして、悲劇的運命からまず絶縁すること」と強調しています。

 では、いったい、この比喩は何を意味しているのでしょうか。どうも単純に争いをやめて、みんなで平和をめざしましょう、というような単純な話ではなさそうです。

 笹船というのは、人類が捕われている驕り、錯覚、無知を言っています。太母さんの言葉を借りると「一切万物は(中略)密接な相関関係があって、どれが尊く、どれが卑しく、どれが必要、どれが不必要であるというものではありません」という認識から外れた人類は、「いつの間にか、『人類は独り尊く万物から超脱しているか、あるいは万物と対立しているか』のごとく錯覚しています」そして、この「錯覚」こそが、人類が抱える罪悪の根源であると指摘しているのです。これが仏教でいうところの「根本無明」すなわち「真理に対する無知」と言っています。

 錯覚の行きつく果ては、間違いなく破滅でしょう。では、そうならないために舟をつけるべき岸とは何を表しているのでしょうか。

「一連の生命体であるところの万物の間には、自然な相関関係と、その関係を調整するための自然の大秩序があるわけです。永遠不変の大秩序が」

この「永遠不変の大秩序」のことを岸と言っておられるのです。
これは、壮大な人類の営みや世界秩序の再構築といった大きなスケールの話としてもいいかも知れませんが、翻って、個人の幸福としてゆるぎないものを築くという点でも、耳を傾けるべき話かも知れません。

この話を聞いて私は、宮澤賢治の「世界ぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という言葉を思い出しました。私は、この言葉は、世界全体の幸福を待って、個人の幸福を実現する、という意味ではないと思っています。むしろ、世界全体の幸福を実現するために、今、ここで一人ひとりが、個人の幸福を実現していこう、ということでじつは世界全体の幸福が実現するのではないかと思います。
簡単ではないと思いますが、舟を岸につなげるためには何ができるか考え続けていきたいと思います。



ヤベツの祈り [2016年07月12日]


ムーン  これまでソロモン王の知恵について触れてきました。これは、まだ本題に入っていないので、今後、何回か触れていきたいと思っています。
 私は特にクリスチャンではありませんが、時々、聖書に目を通します。それは、仕事柄、海外で人に会う機会もあり、一般教養として知っておくべきであろうと思うからです。

 ところで、世界でも成功者の多くは聖書をよく読んでいるという話は聞きます。それは、宗教的な意味だけでなく、実は、成功法則がしたためられているからではないか、と密かににらんでいます。ですから、経営者たるもの眼光紙背に徹して、聖書を読む必要があるかもしれません。

 かつて、日本でも少しブームになった「ヤベツの祈り」もそうした成功法則のひとつかもしれません。すでにご存じの方もおられるでしょうし、『ヤベツの祈り』という本をお読みになった方もおられるとは思いますが、ご存じのない方のために少し書いておきたいと思います。

 これは旧約聖書の『歴代誌第一の書』に書かれているエピソードです。四章十節に「私を大いに祝福して、私の領土を広げてください、御手が私とともにあって、災いから私を遠ざけ、苦しみがもたらされないように」とヤベツが祈ると、イスラエルの神は、その祈りを聞き届けてくれた、というエピソードが書かれています。

 読み過ごしてしまえば、膨大な聖書の小さなエピソードのひとつにすぎませんが、実は、これは、クリスチャンばかりでなく、信仰があるないにかかわらず、宇宙に対して祈る形ではないかと言われています。

 ですから、あなたが信仰をお持ちであろうと否とにかかわらず、宇宙に対して祈ることができるならば、その祈りは必ず実現されるということが、宇宙の法則であるといわれています。

 別にこれをやってみて、何も起こらなかったとしても、あなたが失うのは、ほんの少し人生の時間を無駄にしたかもしれません。たかがタバコ一本喫う時間、コーヒーを一杯飲む時間を失うかもしれません。でも、その代わり、少しだけ人生の楽しみが増えるとは思いませんか。

 楽しんでやってみると、案外面白いことが起こるかもしれません。

「私を大いに祝福して、私の領土を広げてください。

御手が私とともにあって、私から災いを遠ざけ、

苦しみがもたらされないように」

 宇宙からの祝福が皆様にもたらされることを祈ります。


人生成功の教え② [2016年07月09日]


ムーン 先に「人生成功の教え」として、ソロモン王の箴言について触れたのですが、ほとんどさわりだけで、なんのことやらわからなかった方も多かったと思います。
 私もただいま勉強中なのですが、ある意味では、人類史においても屈指の成功法則であることは間違いないところですから、読者のみなさんとご一緒に学んでまいりたいと思います。

 旧約聖書の『箴言』について、クリスチャンではない日本人にとってあまり馴染みのないものだろうと思います。私もクリスチャンではありませんから、これまで旧約聖書にそのような書があることさえ知りませんでした。

『箴言』がいかに類まれなる「人生成功の教え」であるかを学んでいく前に、そもそも『箴言』なる書がいかなる書であるかに触れておかないわけにはいきません。

『箴言』の冒頭には次のような言葉によって、ソロモン王がこの書をしたためられた意義が書かれています。

「人が知恵と懲らしめを知り、理解の言葉をわきまえ、洞察力、義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ、経験のない者たちに明敏さを、若者に知識と思考力を与えるためのものである」

「賢い者は聴いて、さらに多くの教訓を取り入れ、理解のある者は巧みな指導を得る人である」

 う~ん、何だか今の日本にこの言葉を聞かせてあげたい人がたくさんいるような気がしますが、要するに、ソロモンの知恵によって、賢く、正しく、謙虚に生きること心掛けていけば間違いのないところである、と言っているような気がします。

 人生においては、座右の書と敬愛する師を持つことは大切であると教わったことが
あります。『箴言』は間違いなく、座右の書として生涯読み続けるに値する書のひとつであると思います。

 この後に、さらに重要な言葉が連なっています。
「わが子よ、あなたの父の懲らしめに聞き従え、あなたの母の律法を捨て去ってはならない。それはあなたの頭にとっての優美な花冠であり、あなたののどにとっての立派な首飾りだからである」

 これは、宗教的な戒律と社会的な法律を守っていきなさいということです。そうすれば、王侯貴族が自らの魂と命、そして聡明さを守るために用いていた冠や首飾りと同様の役割を果たしてくれることを言っています。

 仮に社会的に成功したとしても、法律に違反したり、道徳的に道を踏み外しては、人として高い評価を得られることはできません。昨今の日本では、その格好の例を挙げるのに困らない状況が続いているようです。それを報道するマスコミもどうかと思いますが、日本人の品性が下落していることは否めません。

 そのような風潮にまどわされることなく、私たちは人としての王道を歩まねばならないと思います。

 前記のように、昔の王侯貴族が宝玉に飾られた冠や首飾りを愛好したのは、単に権威づけや身を飾るということ以上に、実は自らの魂と命を守るための防護として、宝石を身につけていたのです。

 今日ではそのようなことは忘れられ、単なるおしゃれとして宝石を身に着ける女性やエグゼクティブがおられますが、もう一度、その機能を考えられた方がいいかもしれません。

 成功者の傍らには、必ず目に見える宝石と目に見えない宝石があるようです。目に見えない宝石とは、ソロモンが教える「懲らしめ」と「律法」でしょう。そして、目に見える宝石とは、さまざまですが、世界最高の宝石とは、アルカダイアモンドであることを自負しています。

 願わくば片手に「懲らしめ」と「律法」を、そして、もう一方の手にはアルカダイアモンドをもって、成功への道を歩む方が一人でも多く生まれることを願っています。

 次回より『箴言』と人生成功の教えについての内容について書いていくことにいたします。


マスゾエさんについて考える [2016年07月07日]


バース  たぶん読者の方が、このブログをお読みになる頃には、すでに皆さんの頭の中からマスゾエさんのことは、すっかり忘れられたものになっていることでしょう。
 マスゾエさんが都知事を辞任するまでは、連日、新聞、テレビ、週刊誌がここぞとばかり、マスゾエさんのセコイ生き方を、さながら人民裁判よろしく糾弾していました。しかし、今となっては、遠い昔の話になっているかもしれません。

 だいたいマスコミが何かで大騒ぎしているときは、騒がれたくないことについて隠すために行われているという側面が必ずあります。国民の目をそちらに集中させて、国家権力にとって都合がよいようにコントロールしていくというお先棒をマスメディアは担いでいるのです。

 2020年の東京オリンピックを招致するために莫大な裏金が使われたという件は、どうなっていたのでしょうか? フランスの検察当局が捜査を進めているようですが、その後の捜査の進展について情報はありません。IOCまで巻き組む大掛かりな不正についての国際的な事件に発展する要素があるわけですから、メディアは、セコイ一人を正義面して追求するよりも、こちらの方が大事ではないでしょうか。しかも、この件についてはマスゾエさんも当事者の一人ですから追求する意味は十分にあるのですが、電通から何かお達しでもあったのでしょうか。だいたいマスゾエさんより都の財政を浪費し、公私混同の激しかったのは、その前の知事ではなかったでしょうか。その話題には触れませんでしたね。

 また、マスゾエさん問題で騒がれている裏で、改正刑事訴訟法が先の国会で成立しました。これは、今後警察の取り調べによって冤罪が生まれる可能性が高いといわれるもので、国民的議論が必要なものですが、見事にスルーされました。

 また、マスゾエさん問題で重要なのは、ホテルの会議に誰がいたか、などということではなく、高額の海外出張の置き土産とでもいうもので、某国大統領との約束なのか、都の所有地を外国の学校にあっせんすることが一部マスコミに報じられていましたが、その点の追求もなく、辞任によって、すべてがうやむやになってしまいました。

 一部週刊誌では、オリンピックの闇をマスゾエさんが暴くかのような見出しを立てていましたが、間違ってもそのようなことはありえないでしょう。なぜなら、マスゾエさんはたいへん頭のいい方ですから、正義感とか愛国心とかいう曖昧な行動原理では絶対に動かない人だからです。

 動くからには、必ず頭の中の電卓を叩いているはずです。辞任を受け入れた背後には、やめた後に自分の都合がいいように展開することを描いていたはずです。だから、辞任したとしても決して落ちこんではいないはずです。あれだけ叩かれても平気だったのは、計算がきっちりできたからだと思われます。

 一年ぐらいしたら、元都知事の方がマスゾエさんについて平気な顔して論評していましたが、たぶん同じようなシレッとした顔をして、国際政治学者として活躍されているのではないでしょうか。
 おそらくマスゾエさんは、自民党に貸しを作ったくらいに思っているのではないでしょうか。

 マスコミのマスゾエ喧噪が一段落したと思ったら、次の都知事は誰になるのか、という話題で持ちきりになり、もうマスゾエさんは過去のことになっていました。ここのところ、有名人しか都知事になれないごとくです。


 まあ、私は東京都民ではないので他人ごとですが、やはり日本を代表する都市の顔ですから、海外からあざけられない人を望みます。少なくとも途中で職務を放り出した人やタレント、有名人の親みたいな人は選ばないように都民の皆さんにはお願いしたいところです。

運命の立体構造 [2016年07月04日]


アルカシリーズ 「宿命は変えられないが、運命は変えられる」という言葉を聞かれたことがある方は、少なくないと思います。私も過去、何度も耳にしていましたし、そうだと思っています。

 では、いったいどういう意味なのか、深く考えてはきませんでした。いったいどういうことなのか。だいたい考えるのは、大筋は決まっているか、細かいディテールなどは、本人の意思次第で改変可能くらいの意味でしょうか。

 私は宿命というのは、生まれ、ということではないかと思います。生まれたことは変えられないけれども、その人の考え方、生き方によっては人生をどのようにも変えられるのではないかと思っています。

 江戸時代に人相見の祖といわれた、水野南北という方が、「食は運命を左右する」ということを本に書いています。この水野南北本人が若いころ、大変貧相な顔をしていたそうです。

ある時、道を歩いていると、一人の僧に声をかけられて、「あなたの顔には死相が表れている。このままでは近い将来死ぬことになるから、何か善行をほどこすようにしなさい」とアドバイスされました。ただ、善行といっても何をしていいかわからず、お寺の寺男として過ごしました。それか一年ほどたって、再びかの僧と出会ったら、「死相はすっかり消えているが、いったいこれまでどんな善行をしたのか」と尋ねられました。しかし、南北には思い当たることがなく、「寺男として毎日の仕事をこなし、朝晩一汁一菜の食事をいただいておりました」と答えたところ、「その食事が善行だ」といわれたといいます。

粗食をするということは、普通よりも少なく食べること。本来自分が食べる分を誰かが口にすることになる。だから、それは利他の善行だというのです。逆に一生裕福に暮らせる宿命をもった人でも、贅にあかして、美食三昧に走ると貧しい晩年を迎えることになるといわれます。現代で言えば、50億円以上も稼ぎながら、すっからかんになって、大切な家族も友達も、そして大好きな仕事も社会的信用も失ってしまった清原和博さんでしょう。

これは、食に限りません。人のために善行をすることで魂を磨くこと、これこそ私たちがこの世に生まれてきた目的ではないでしょうか。

 例えばAさんの人生には、100点満点で、1点の人生から100点の人生まで、100通りの人生があるとします。1点の人生は、とても苦しくつらい人生でしょう。100点の人生は、すべての望みが叶う素晴らしい人生でしょう。どれを選ぶかは、本人次第です。日々、私たちはその選択をしているのではないでしょうか。

 人生をひとつの直線の上にあると二次元的にとらえるのではなく、重層的に1点から100点まで、同じ点数でもさまざまなバリエーションがあるでしょうから、人生の選択には無限の可能性があると思います。

 今の人生は誰のせいでもありません。自分の選択の結果、今の姿があるのです。世の中が悪いとか、親が悪い、誰々が悪い、自分の人生の不遇を嘆いている人に限って、必ずその不遇の原因を他人のせいにしています。

 逆に世に成功しているといわれる人は、仮に逆境にあっても、それは自分の問題であるとして、それを乗り越えようと不断の努力をしてそれを克服していきます。その結果として成功するのです。二代目の経営者で失敗する人は、その逆をやってしまうからです。

 この人生に階層があるように、アルカダイアモンドが持つ人のエネルギーをニュートラルでピュアな「50」という、生まれたばかりの赤ちゃんのようなエネルギー状態に戻してくれるのですが、これにも実は階層があると思うのです。

 つまり1点の「50」のエネルギー状態から100点の「50」のエネルギー状態があるというわけです。

アルカダイアモンドをご存じない方には何のことを言っているのか分からないかもしれませんが、これを持つとその人本来のピュアな状態に保ってくれる不思議なダイアモンドなのです。

 持つ人は、健康になったり、トラブルが解消されたり、人間関係がスムーズになったり、経済状態が良くなったり、仕事がうまくいったり、良いことが起こるようになります。ところがそのようなことが当たり前に思うようになってくると、だんだんそのような円滑化現象に感謝できなくなると、良いことが起こりにくくなってきます。

 つまりエゴによって、ピュアな50点の「50」から、ダメな0点の「50」に近づいていってしまうのです。もしも、そうなったら魂を磨くように、利他的な善行に励んで、ふたたびレベルアップを図ればいいのです。

 もちろん、アルカダイアモンドをお持ちでない方も善行を行うことで、魂を磨いていけば、人生はバージョンアップしていきます。
 さあ、運命を素晴らしいものにするために、魂を磨くことを今から始めましょう。

でんでん虫の殻 [2016年07月01日]


アルカシリーズ  ご存知の方も多い話かもしれませんが、最近聞いたとてもいい話なので、皆さんとシェアしたいと思います。

 皇后・美智子さまが講演のなかで、童話作家新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」のお話をなさったそうです。

 でんでん虫は、自分の背中の殻に悲しみがいっぱい詰まっていることに気づいて、友達のでんでん虫にそのことを告げました。
 すると、その友達のでんでん虫も「それは君だけではない。自分の背中にも悲しみがいっぱい詰まっている」と言われました。
 それでも納得できなくて、別のでんでん虫にも「自分の殻に悲しみがいっぱいで、生きるのがつらい」と訴えると、そのでんでん虫も「自分も同じだ」と答えます。

 そして、ようやくでんでん虫は、「悲しみを抱えているのは自分だけではない。誰もが悲しみをいっぱい抱えて、それでも一生懸命生きている。だから、自分も悲しみをこらえていきなければならない」と思うようになって、それからは嘆かなくなった、というお話です。

 この話を美智子さまは幼いころに、お母様か母方のお祖父さまに聞いて、ずっと心に残っているということでした。
 皇族に一員になられて、たくさんのご苦労があったと思われますが、そのような方が、いくつになっても、この話を覚えておられて、話されるというのは、大変感慨深いものです。

 常に天皇陛下のおそばに寄り添い、日本だけでなく世界の安寧を願って、ご公務に励まれるお姿には、本当に頭が下がる思いがいたします。そのような天皇皇后とともに日本で暮らせる幸いを有り難いことと思います。

 同時に誰もが悲しみを抱いていきていることを忘れず、常に隣人に手を差しのべる気持ちを忘れないでいたいと思います。
 
 梅雨時、どこかででんでん虫を目にしたら、この話を思い出していただければと思います。

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