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社長のひとりごと

アルカダイアモンド代表取締役「迫恭一郎」の社長のひとりごとブログページです。

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2016年

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人生成功の教え [2016年6月29日]

アルカシリーズ  ある人が大学を卒業して就職したが、なかなか長続きしない。転職を繰り返して6番目の職を失って、失意に陥っていました。そのとき、友人があるアドバイスをしてくれました。
 そのアドバイスに忠実に従ったところ、2年後には会社を設立するまでになり、瞬く間に月商で4億円を挙げるまでに発展しました。

 そのアドバイスというのは、きわめてシンプルなものでした。
「君が2年間、あることを続ければ、これから出会うどんな上司や社長よりも必ず賢くなれる。5年後には大金持ちになれるはずだ」

 このあることとは、誰でも明日から行うことは可能です。
 ある意味では、行うことは可能ですが、実行するのは難しいことです。
別に特別の能力も、資格も、費用負担も一切ありません。多少の出費はありますが、それ以外に一切の負担はありません。

だから、誰でも明日から行うことはできます。
それにもかかわらず、実行が難しいとは、どういう意味かと不審に思われる向きもあるかと思います。

それでは種明かしをいたしましょう。
それは、旧訳聖書にあるソロモン王が書いたとされる『箴言』を毎日読むことなのです。
『箴言』は、キリスト教世界において最も賢明な王とされるソロモン王の知恵のエッセンスのようなものです。
しかし、私たち日本人には、キリスト教徒以外にはあまりなじみのないものです。
でも、キリスト教世界である欧米では、このソロモン王の知恵は絶大です。

この『箴言』を指針として成功した人は、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーンといった歴代のアメリカ大統領、自動車王ヘンリー・フォード、発明王トーマス・エジソン、自ら障がい者でありながら生涯を教育と福祉の発展に尽くしたヘレン・ケラーといったお歴々は、熱心に『箴言』を読んでいたといわれています。

昔の偉人ばかりではありません。かのビル・ゲイツ、ウォルマートの創始者サム・ウォルトン、映画監督スティーブン・スピルバーグ等の現代の成功者も『箴言』の愛読者だといわれています。

 グローバル化といわれている今日、あながち無視するわけにはいかない話かもしれません。

私もこのように偉そうにいっていますが、実はある人から紹介された本にあった内容に興味を持ったものですから、この場を借りて紹介させていただいたものです。

内容については、まだ読み始めたばかりですので、追って詳しい紹介をさせていただこうと思います。

本は、スティーブ・K・スコット『ソロモン王の箴言』(トランスワールドジャパン)というあまり知られていないものだと思います。

しかし、これから世界を舞台に活躍しようと志しておられる方は(不肖、私も志しております)、一読される価値のある本であると思います。

するのは簡単だが、実行するのは難しい、と言った意味ですが、『箴言』は全部で31章あります。これを 一日一章読んでいけばいいのです。一章が一ページくらいの短いものですから、それを続けることは、どれほど多忙な方でも不可能なことではありません。

しかし、書かれたことを自分の生活や仕事の現場で実行するのは容易なことではありません。
そのために知恵を働かさなければならないからです。しかし、研究するには値することです。

チャレンジしてみようかと思います。ゆめゆめ三日坊主にはなりませんように。

原点に帰る [2016年06月26日]

アルカシリーズ  家内が親しくさせていただいているカウンセラーの先生のセミナーに出て、課題のライフヒストリー(自分史)の執筆に苦心している様子を横目に見ながら、人生の棚卸しというのも悪くないと思っていました。

 考えてみれば、20代で宝石業界に足を突っ込んでから、早いもので今年で還暦を迎えています。この40年間というものが、アッという間だったとも、いろいろあり過ぎて思い出すのも大変という思いと、どちらともつかずというのが、正直なところでしょうか。

 いずれにしても自分では若いつもりでいても、世間では、やはり還暦として、ひとつの区切りを迎えていることは間違いありません。二人の子供も無事に成長してくれていますし、家内も変わらず私を支えてくれていますので、このまま進んでいければとも思いますが、時代の大きな変化というものを考えるならば、私個人も、会社の経営者としても、そして会社そのものも変わっていかなければ、新しい時代の波に乗り遅れてしまうような気がします。

 今の自分があるのも家族と、会社のスタッフと外部スタッフ、御取引先やお客様、友人知人、あるいは一期一会で出会った方々も含めて、実に数え切れないほどのたくさんの方々とのご縁のおかげというしかありません。

 そしてこれから出会うであろう、未来のスタッフやお客様、これからご縁をいただくであろう無数の人々との出会いの機会にワクワクするとともに、これからの私が世界に対して、どのようにお役立ちできるだろうかと、思いをはせる今日この頃です。

 アルカダイアモンドの次なる成長の為に、新しいステージを迎えるにあたり、特別なことを始めるのではなく、まず取り組みたいことは、私が経営者としてしっかりと確認すべきことは、私がこの業界においてなすべきことは何なのか、原点を見つめなおすことであろうと思います。

 現在、アメリカに留学して、宝石鑑定士の勉強に励んでいる息子から連絡がありました。
「みんな、どうやって儲けるかしか考えていない」といいます。
 むろん宝石鑑定士もビジネスですから、儲けることは考えて当然です。しかし、宝石、
なかでもダイアモンドを扱う人間として、儲けを第一に考えるというのは、いかがなものかと思います。

 私はダイアモンドの美しさというものは、世界中の誰よりもわかっていると自負している、ダイアモンドに対してはバカがつくほどの人間です。
 だからこそ思うのは、ダイアモンドが美しさと同時にもっている人を癒す力です。その力は地上において比類なきレベルだと思っています。そのことを一人でも多くの方に知っていただくとともに、心から実感していただきたいということです。

 かつてダイアモンドは、特権階級だけに持つことを許された特別のものでした。しかし、近年は庶民でも、さほど無理せずとも手にすることが可能となっています。そうは言っても、本物を手にすることは少ないのではないかと思います。

今、みなさんがお持ちのダイアモンドが偽物と言うつもりはありません。ただ、巷にあるダイアモンドに本当の輝きとパワーがあるかと調べてみると、残念ながら十分ではないものが多いと思われます。
  
 本当のダイアモンドは、災いを避け、幸せに導く力を持っています。私自身、ダイアモンドによって何度救われたかしれません。これは、決して大げさではなく、声を大にして申し上げてもいいくらいです。もちろん、周りの人に助けていただいてということは間違いないところです。同時に、何か得体のしれない力が、私の運命の背後で働いていると思わないわけにはいかないことが、一度ならずあったことを外すわけにはいきません。そのおかげで、今の私があることは間違いありません。

 私のこれからの課題は、60年間私を生かしてくださった世間様に対して、残りの人生を使って、どれだけご恩返しができるかということです。
 原点回帰して、初心を思い返すこと、そして足元をしっかりと固めて、着実に一歩ずつ歩を進めて、次の世代にバトンを渡すまで、一歩でも前を進むことであると確信しています。

 今後とも多くの方のお力添えをお願いするとともに、どうか忌憚のないところをお聞かせ願い、ご指導ご鞭撻をお願いいたします。

 アルカダイアモンドは、世界に向かって一歩一歩進んでまいります。何卒よろしくお願いいたします。

命がけの挨拶 [2016年06月25日]

アルカシリーズ  ある本を読んでいましたら、「命懸けの挨拶」という言葉に出会って、ハッとしました。
 私も日々、たくさんの方とお会いします。お客様、取引先様、外注先様、友人知人、スタッフ、町で出会った方等、実にたくさんの方にお会いします。
 それらの方々に対して、「命懸けの挨拶」ではなくても、心からのご挨拶をしただろうか、と自問すると、YESとは答えにくいものがあります。
 この本の著者の方は、元々演劇関係の出身の方ですが、日々、プレゼンテーションといってもいい場所に長年おられて、挨拶の大切さについて身をもって学ばれたということです。実際、演出家にきちんと挨拶ができないばかりに出番を与えられない、というのが当たり前の世界というのです。

 まさしく日常の場面がオーディションという世界なのです。
挨拶ひとつが生きるか死ぬかという過酷な世界にあったのです。

 翻って、それでは私たちはその点で無縁かといえば、そうとは言えないでしょう。誰もが一人で生きているわけではありません。一日誰とも会わないという日の方が稀ではないでしょうか。誰かに会ったら挨拶をする。親しくなると挨拶もしなくなります。

しかし、人と人とのコミュニケーションの基本は、まず挨拶です。心を込めた挨拶に対して怒る人はいません。余計だともいいません。仮に口では「そんな他人行儀なことを」と言っても、丁寧で心を込めた挨拶は、人の心に深く入り、人間関係を深めてくれるものだと思います。

人は誰でも「自己重要感」という感情を持っていると聞いたことがあります。人から「あなたは価値ある大切な存在です」と認められることを常に欲しているというのです。だから、その自己重要感という琴線に触れることができれば、その方と良い関係を作ることができるといいます。
それは、単にビジネスの世界だけでなく、日常の人間関係においても、それが家族や友人知人、あるいはたった一度しか会うことがない方であっても、相手を認めることは大切なことです。

私たちに幸せをもたらすのは、自分と関係のある方、多くは人間ですが、他者であることは、間違いありません。その方たちが自分に好感を持つか否かで、人生はずいぶん違ったものになるのではないでしょうか。
私たちの人生というものも、実は、日々オーディションであるといえないこともありません。

昨日の私と今日の私は、まったく同じ人間ではありません。細胞も変わっているだろうし、一日分の経験や知識が、昨日の自分と今日の自分を違うものにしているかもしれません。それは他の人も同じです。

だから、仮に毎日会っている家族であっても、実は昨日のその方と今日のその方は違います。

今日の新しい自分と今日の新しい他人との新鮮な気持ちで挨拶を交わしてみたいものです。本気で、心を込めて、「命懸けの挨拶」を目標として、挨拶をしてみたいと思います。何か人生が変わるような気がします。


「美しき緑の星」という不思議な映画 [2016年06月20日]

アルカシリーズ 知り合いから不思議な映画の話を聞いた。なんでも20年前にフランスで製作されたSF的で、ファンタジーぽく、コミカルな映画でもあるといいます。ところが、現在まで本国だけでなく、EUでも放映禁止になっているということです。
残酷なシーンも18禁のようなシーンがあるわけでもないのに不思議です。

話は宇宙のある星からやってきた宇宙人の女性が、地球の文明を見て、あまりに遅れていることに驚くのです。

この星では、貨幣経済があり、肉食があり、自動車を使っていて、支配の制度がある、宇宙の中でも相当に遅れていると驚嘆するのです。

そしてこの女性と接すると「切断」という現象が起こります。これは、私たちが常識と思っていることが、宇宙においては、とんでもなく遅れていることであり、その「洗脳」を解いてしまうのが「切断」だというのです。

通勤途中のサラリーマンが、路上で靴やカバンを投げ捨ててサボタージュしたり、肉料理を作るつもりで肉を買った主婦が、店を出ると肉の包みをあけて投げ捨てたり、テレビの政治家の討論では、切断が起こると、政治家が本音でしゃべり始め「国民のことなんかちっとも考えていない」ことをあらわにしたり、競技場でサッカーをやっている選手たちが、試合を放棄してハグしあったりと、ある意味コミカルですが、よくよく考えると、私たちの文明がいかに病んでいるか、ということに気づかされるというものです。

このように偉そうに紹介していますが、実はまだ観ていないのです。
しかし、大変興味深い映画ですので、時間を見つけて、ぜひとも鑑賞してみたいと思います。なんでもウェブにアップロードされるたびに削除されてしまうそうですが、ネットで探して観ることは可能のようです。

「切断」を忌避する人たちと「切断」を積極的に促す人たちが競い合っているようです。人をそのように促す映画「美しき緑の星」は、話もそうですが、この映画にまつわる話も含めて興味深いですね。

「ハチドリのひとしずく」を読む [2016年06月18日]

アルカシリーズ  私の書斎の本棚のどこかにあって、時々、読みたくなる本の一冊に「ハチドリのひとしずく」(監修辻信一 光文社刊)があります。話はとても短いものなので、全文引用してみます。

この物語は、南アフリカの先住民に伝わるお話です。

森が燃えていました
森のいきものたちは われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑っています
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」

これだけのお話です。どのように解釈するかは、読む人の自由です。しかし、この話を教訓物語としては、私は読みたくありません。私の中にハチドリも、そして逃げる動物たちもいるからです。教訓物語にしてしまうと、話はそこで終わってしまう感じがします。
でも、この話は、いつまでも終わらず、「いったいこの後、森はどうなったのか」想像をめぐらすことができるのではないかと思います。話は千にも万にも広がります。

ちなみに、ベストセラー「朝2時起きで、なんでもできる」の著者、枝廣淳子さんの素敵な結末を紹介します。

森が燃えているのを見たハチドリは仲間を増やそうと思いました。
「それぞれが一羽ずつ仲間を増やすように伝えて!」
2回伝わると4羽が、3回伝わると8羽が、10回伝わると1024羽が、
20回伝わると100万羽以上が、
そして40回伝わると1兆羽以上のハチドリがやってきて、
あっという間に火事を消してしまいましたとさ。

素敵な結末ですね、まるで最初からそういう話だったみたいです。

いま、地球は大火事です。私たちは、この星から逃げることはできません。
山積みの問題も誰か偉い人にゆだねるのではなく、今いる場所でできることをやるだけなのではないでしょうか。

こうして、私のモチベーションを高めてくれる本でした。


ホープダイアモンドというカラクリ [2016年06月14日]

アルカシリーズ  業界では、いわくつきのひとつにホープダイアモンドがあります。
ホープという名を冠しながら、「呪いの宝石」としてあまりにも有名な、この45.50カラットのブルー・ダイアモンドは、現在は、アメリカのスミソニアン自然博物館に所蔵されています。

歴史的に言うと、9世紀ごろ、インドのデカン高原のコーラルという町を流れる川で、農夫によって発見されたとされています。それがペルシア軍のインド侵攻の際にペルシアにわたり、軍の司令官から国王に献上されました。

発見した農夫はペルシア軍に殺害され、司令官は親族の不手際により処刑され、国王は謀反により殺されるという、呪いのスタートです。

1660年にフランス人のジャン・バディスト・タヴェルニエが購入しますが、当時のホープダイアは、112と3/16カラットあったといいます。これはヒンドゥー教の寺院に安置されている女神シータの彫像の目にはめ込まれた2つのうちの1つが盗まれたものといわれています。その罰当たりのためか、後にタヴェルニエは、狼に食べられて死んでしまったといいます。

1668年にフランスの王ルイ14世がタヴェルニエより購入。そのときは、67と1/8にまでカッティングされていました。「王冠の青」とか「フランスの青」といわれ、王の儀典用のスカーフにつけられていました。

時が下って1749年、ルイ15世の手にわたり、金羊毛騎士団用ペンダントに付け直されました。その後、ルイ16世とマリー・アントワネットの手にわたることになります。

ルイ14世は、ダイアのせいで3週間の間苦しんだ後に死亡。ルイ14世がダイアを入手した頃からフランス経済は停滞し、フランス革命の原因となったといわれています。
ルイ15世は天然痘で死亡。ルイ16世とマリー・アントワネットは、フランス革命で処刑されます。なお、マリー・アントワネットよりダイアを度々借り受けていたランバル公妃は、革命軍によって惨殺されました。

 1792年、フランス革命のさなか、窃盗団によって王宮より他の宝石類とともに強奪され、カッティングされて、イギリスの宝石商に売りとばされます。宝石商の息子にダイアを盗まれたため狂い死にし、息子もその後、自殺してしまいます。
 1824年、ヘンリー・ホープの宝石コレクションとして確認されています。彼は、このダイアのために生涯独身であったとされています。後にホープ家は破産し、海を渡ってアメリカの名士エヴェリン・マクリーンの手にわたります。マクリーンは呪いが解けるよう教会で祈祷しますが、一族全員が死に絶えました。

 その後、ニューヨークのダイアモンド商ハリー・ウィンストンの手にわたり、スミソニアン協会に寄贈されます。

 この話が本当であれば、恐ろしいことですが、実は、ほとんどでっち上げられた話で、その仕掛け人は、カルティエであったようです。彼は、富豪の心理を逆手にとって、ダイアモンドの呪いの話をでっち上げ、ほかの人間は呪われたかもしれないが、自分だけは特別だ、と思わせて、高値で売りつけたということです。

 宝石商というのは昔から宝石を売るだけではなく、伝説までも売るといわれています。そして、売れるような伝説がなければ、売れるような伝説をでっち上げてしまうようです。

 世にも稀な美しい輝きの裏に、このような醜い人間の欲望が渦巻いているのです。
 そのような人間の暗い欲望からダイアモンドを救い出し、人を癒す本来の役割を果たせるような環境を創っていきたいというのが、私の事業の根底にはあります。

 このホープダイアモンドについて、時々「迫さん、あの話はほんとなんですか?」と尋ねられることがあります。

 そこで念のために、ホープダイアモンドの波動測定をしたことがあります。と、いっても、現物はスミソニアン博物館に所蔵されていますから、借りることはできませんが、そこは当代一流の所蔵品のことで、写真は発表されています。そこで、ホープダイアモンドの写真で波動測定をしたところ、波動は大きくマイナスの数値を示しています。確かに大筋の話はカルティエが作ったかもしれませんが、根も葉もない話ではないようです。

 石は周りのエネルギーを吸い込みます。まして、人間の欲望渦巻く舞台に長いことおかれたホープダイアモンドならば、人間のネガティブなエネルギーを思い切り吸い込んでいてもおかしくはありません。

 ゆめゆめいわくつきの宝石には近づかないことです。その点、アルカダイアモンドはネガティブなエネルギーを寄せ付けない稀有のジュエリーといえるでしょう。


願ったときは叶ったとき [2016年06月11日]

アルカシリーズ  私がこの間、「神社はお願いするところではない」ということを書いたことについて、懇意にさせていただいている方からご意見をうかがいました。
 その方は、
「迫さん、あなたのおっしゃっていることは、まことに正しい」と肯定するご意見でした。
 そのあとで、
「でもね、……」
 と言葉を続けられます。

「自分はお願いすることがありますが、願ったその瞬間に、そのことを忘れることにしているのです」
 どういうことかとうかがうと、その方は、願った瞬間に神様は、その人にとってもっともいい形で実現してくださった。そのことについて人間ごときが、いいとか悪いとか評価するのは、とんでもないことだ。神様がしてくださったことを、それがどのような形であれ、ありがたく受け取るものだ、と教えられたといいます。

 人間は、自分の勝手な都合で、あれがいいとか、これは悪いとか、無意識に評価する傾向があります。しかし、物事にはいいものも悪いものもありません。

 例えば、どこかに遊びにいこうと思っていた日に雨が降ったら、「嫌な雨だ」とおもうでしょう。ところが、日照り続きで困っていた農家の方が、雨が降ったら、「ありがたい雨だ」と思うでしょう。世の中にいい雨も悪い雨もありません。

 どんなことも本来中立で、いいも悪いもありません。人間が自分の都合で、勝手にいい悪いという評価を与えているだけです。

 だから、運というものも、運のいい人だ、運の悪い人だ、という評価は、ある局面について勝手に評価することであって、その人の人生をトータルにみて、果たしてそれが良かったのか悪かったのか、を見る必要があるかもしれません。あるいは、生まれ変わりというものがあるとしたら、その人の過去世や来世も見て評価しないと分からないかもしれません。

 しかし、人間にそんなことができるわけがありませんから、自分や他人の運について云々することはできないことではないでしょうか。

 そんなことを考えるよりは、今ここにあることをありがたいと思うことの方が、ずっと心安らぐことです。

過去を後悔したり、明日のことに思い悩んだりすることは、心穏やかでいられない原因を作る元。
それは、誰が作ったものでもなく、自分の心が勝手に作りだしたものです。

願いがあるなら、とりあえず神様にお願いしてもいいかもしれません。
でも、それがどうなるかというような結果についてこだわるのはやめましょう。
願望を神様の前で吐き出したら、すっきりして、今やるべきことに全力で取り組んでいきたいものです。

私もあれこれと煩悩が多いタイプですが、この方の話をお聞きして、なんだかすっきりしましたので、この場でシェアいたします。

ものごとの基本は、朝いちばんから [2016年06月04日]

アルカシリーズ  私がかねてから敬愛している人のひとりに、倫理研究会の創設者である丸山敏雄さんがいます。全国6万社の経営者が参加している倫理法人会の母体 となった組織を作った方です。

 敗戦後の焼け跡にたたずんで、日本が復活するために何が必要か考えて、誰もが幸福になる指針として「万人幸福の栞(しおり)」をまとめられた。この17か条の指針は素晴らしいもので、日々の生活に根差した、やれば必ず良い結果がでる項目です。

 素晴らしいと頭ではわかっていても、なかなか実行できないものです。私も一読して、「これは素晴らしい、自分の人生の指針として取り入れたい」と思ったものです。「よし、明日から実行するぞ」と思っていたのですが、この「明日」がずっと続いてしまい、なかなか実行につながらないのです。
 どうしたら、これを実行できるのか、ある人が丸山敏雄さんに尋ねたそうです。
 すると、まず、朝、サッと起きることだと言われたというのです。
 聞いた人は内心「なんだ、そんなことか」と思ったといいます。
 しかし、朝、サッと起きる、簡単だと思うことが、いざ実行しようと思うと、これがなかなか実行できないものです。

 『丸山敏雄伝』という本には、次のように書かれています。
「気がついても何もしない。やらねばと思っても先延ばしにする。今できない理由はないのに、延期する。これが癖になり、強情となりズボラを決め込み、不純な心のにごりが沈殿し、堆積していく。そうした悪い習慣の大本が、朝寝なのだ」

 ものごとを先送りしてしまう悪習の根本に、朝寝があるというのです。

『万人幸福の栞』には、「すぐにやること」について、次のように書かれています。
「気づいた時—-それはそのことを処理する最高のチャンスである。それをのばせば、次第に条件がわるくなる。事情の最も高潮に達した時、その波動(うごき)が、人の脳に伝わって気がつくようになっている」

 つまり、朝起きというのは、気がついたらすぐやるという習慣を身につけるための訓練なのです。それを毎朝毎朝365日、毎日怠らず行うことは、日常の気づいたことをすぐに実行できる習慣を、体に覚えさせるための訓練なのです。

 無一文から一代で年商50億円の企業グループを気づき上げた経営者の先輩に、事業を成功に導く秘訣は何かうかがったことがあります。その方は、「自分など成功者の部類に入りません」と謙遜しておられましたが、「自分がここまで来られたのは、気づいたことをすぐに実行したことです」とおっしゃられました。
 経営者は24時間事業のことを考え続けています。そこで気づいたことが無駄で無意味なわけがありません。それを実行していけば、良くならないはずがありません。仮に結果がわるくても、それを教訓とすれば、必ず良い結果につながるはずです。

 この気づいたらすぐ実行することの大本に朝起きがあるのです。
 早起きはどうしたらできるか、丸山敏雄さんに尋ねた人がいます。すると、このように答えられたといいます。

『早起きの秘訣? そんなものがあるものですか、ただ「やればできる」のです。「さあ明朝から早く起きるぞ」と決めて起きればよいのです』(『清き耳』)

 さあ、明日の朝、早起きするぞ!

ヘミシンクという不思議な話 [2016年06月03日]

子どもの頃から宝石に接していたからというわけではありませんが、不思議な話、いわゆるスピリチュアル系の話が大好きです。ことの真偽は別にしても、私たちの常識というものを裏切るような話というのは、どこかスリリングであると思い、ワクワクしてしまいます。

 先日、うかがったのは、ヘミシンクという特殊技術のことです。
 何でも、二つの周波数の異なる音を同時に聞くことによって、変性意識状態、つまり禅や瞑想をした時のアルファ波の脳波状態になるというのです。

 そして、変性意識状態で意識を誘導していくと、体外離脱、いわゆる臨死体験をすることができるというのです。

 最初の段階では、自分の体から意識が抜け出して、良く臨死体験者が話す、自分の体を上の方から眺める、というような体験をするというのです。そして、まずは、空間的に自由になるそうです。

 つまり、思ったところに瞬時に行けるというのです。そこで、ヘミシンクを行っている会場から自分の住まいに瞬時に行って、後から確認できるように干してある洗濯物だとか普段と変わっているものを確認しておくそうです。後から確認すると、確かにその時間に行かないと分からないことを認識したといいます。

 次の段階では、時間的に自由になるといいます。つまり、過去に行ったり、未来に行ったりすることができるといいます。ただ、それだけでは確認できないので、自分の過去に行って、後から確認できることを見てくることをするそうです。

 さらに次の段階になると、三途の川、すなわちあの世とこの世の境にまで行くといいます。三途の川のほとりには、カフェがあって、そこでは、亡くなった方とも会えるそうです。三途の川には橋もかかっていたといいます。

 その次の段階では、亡くなって浮かばれない方を救済して、あの世の病院のような施設に連れていく救済活動までするということです。

 実際に体験していないから何とも言えないのですが、少なくとも人間という存在は、肉体的だけの存在ではなく、精神や魂もある存在なのだということが妙に納得できる話だと思いました。

 いつか体験する機会があれば、やってみたいという興味はありますが、もしも、私の意識が時間的にも空間的にも自由になったら、いったいいつのどこへいってみたいだろうか、考えます。

 そんなことを思うだけで、ワクワク、ドキドキしてきます。
 夢のある楽しい話でした。